2009年3月15日日曜日

本日の,太郎坊と水ケ塚の状況.

 3月11日夕方,72時間後の予報天気図によって,日本海を低気圧が通過,特に13日夜から14日未明にかけては富士山周辺をこの前線から伸びる寒冷前線が通過する予想が示された.

 富士山では,このような気圧配置のもとで,スラッシュ雪崩が発生しやすいことが明らかにされている(廣瀬,1940など).また,2007年以降,富士山南東斜面で確認されている7回のスラッシュ雪崩イベントも同じであり,今年の場合は2月14日にこの条件下でスラッシュ雪崩が発生している(小森,投稿済ずみ).

 11日の72時間後の気圧配置は2月14日のそれと酷似.したがって,富士山での,特に少なくとも南東斜面でのスラッシュ雪崩の発生が予測された.

 そこで,15日朝,緊急調査を実施した.以下にその結果を速報する.


・太郎坊ではスラッシュ雪崩の発生はごく僅か.(写真1)
 気象条件,積雪条件は2月14日と同じと考えていたため,太郎坊での雪崩がかなり小規模だったのは正直予想外であった.

・一方,宝永第一火口の南隣の沢(目測でEL3200m付近とEL2750mから発生)と市兵衛沢(目測で  EL m)で雪崩の発生を確認(写真2).日沢でも(目測でEL2450m付近から)小規模な雪崩か.

・森林限界以下に土砂混じりの雪崩のデブリが堆積しているように見える(写真2の下部).

・スカイライン5合目駐車場施設の状況は不明.

2009年1月9日金曜日

現地調査の思い出

 -気持ちも心臓もドキドキ-
 高解像度で多時期,多バンドの衛星データが入手できるようになった近年でも,現地調査でなければ確かめられないことは多く,そこで獲得する各種データは貴重である.現地を見ないことには氷河湖のタイプ分けもできないし,モレーンの構成物が岩屑や砂礫だけなのかそれとも氷体が含まれるのか,といったことも検討できない.いっぽう,現地では日常とはかなりかけ離れたできごとや景色,味,苦痛を経験することができる.そして,現地でのこういったドキドキ(標高が高いので実際に心臓もドキドキである)が,筆者を含めたフィールド屋の研究へのモティベーションになっていると私は思う.そこで,残りのページではこれまでの現地調査での印象的なできごとを紹介したい.

・11人のスタッフ
 ネパール東部のヒンク,ホング谷の調査の時である.予算と日程の都合から一人での現地調査となった.ネパールでの調査では登山隊と同じく現地でシェルパを雇うことになる(ヒマラヤでもブータンやチベットではこのシステムはない).

 出発当日,驚いたことにスタッフが11人集まった.自分一人にこの人数.しかもほとんどが英語を話せない.最初は戸惑ったが,まじめで明るく力持ちの彼らをすぐに信頼でき,そして少々無理して彼らと打ち解けた.というのは,その先二週間はほとんど人のいない谷を,自分一人と11人の現地人,しかも飄々とズック靴で氷河を越え,標高5000mでも駆け出せる心肺機能の持ち主たちと歩くのだ.途中で裏切られて置き去りにでもされたら悲惨である.ここは何が何でも早めに信頼関係を結び,互いに打ち解ける必要があったのである.

 その甲斐もあって,息を呑むような景色が繰り返される毎日を,スタッフ8人と仲の良い家族のように過ごすことができた.そう,11人ではなくて8人で.実は11人のうち3人はあまりにも働かないので,一悶着の末に途中でクビにしたのだ.

 いずれにしてもこのクビの一件と,途中で二体の白骨死体と遭遇したこと,高山病で顔が風船のように腫れていたこと(後半に鏡で見るまで知らなかった),トイレットペーパーが早い時点で尽きたこと,地元のテロリストに寄付と称してお金を脅し取られたことを除けば平和で夢のような三週間であった.

氷河湖とはなにか

氷河湖とはなにか (某啓発書 原稿 ver.0)
 氷河湖という言葉を巷でも目にすることが多くなった.インターネットで「glacial lake」と「氷河湖」という言葉を検索するとそれぞれ数十万と数万のヒット件数が出る.しかし,氷河湖に関する記述(特に日本語)をテレビやインターネットで見ると,偏見や誤解が多い.その原因として,研究者から社会への説明が全く不足していることが考えられる.氷河湖に関する筆者の研究は,湖が過去から現在までどのように形成され,将来それがどう変化して,我々はどのように対応すべきかを明らかにすることであるが,同時にその成果は社会に示される必要を強く感じている.そこでここでは,氷河湖の定義,分類,分布域,および拡大傾向について筆者の研究成果も含めて概説したい.

 氷河湖とは,天然ダム(*)の一種で,氷河作用にともなって成立した凹地が水域となったものである.ここで言う氷河作用とは,氷河の分布域の変化や氷河による地盤の浸食のことで,このうちの分布域の変化とは単に氷河の水平方向の変化だけではなく,氷河の表面の沈降や底面の上昇といった垂直方向の変化も含む.氷河湖のタイプは既存の研究によっていくつかに分類されているが,筆者は湖盆(湖水をためる器)の成因に着目して次のような分類を考えている.

・モレーン堰き止め型:
氷河自らが形成したモレーンがダム湖の堤体の役割をはたし,そのモレーンの内側に水域ができている湖(moraine-dammed lake.写真1).モレーンとは,氷河の流動にともなって移動し,氷河の末端や側面に堆積した砕屑物からなる尾根状の高まりのことで,このタイプの湖の場合はターミナル・モレーン(端堆石)とラテラル・モレーン(側堆石)が堤体となる.

写真1





・遮断型:
氷河もしくはそれによって作られたモレーンが,隣の流域から合流している谷を出口で遮断することで湖盆が成立した湖(ice dammed lake, blocking lake.写真2).当然ながら,堰き止められた水流と堰き止めた氷河が起源を異にする場合が多く,遮断される流域が遮断する流域に対して支谷である場合(写真2はこのタイプ)とその逆の場合がある(白岩,1997).湖が形成される場所は氷河の側面やラテラル・モレーンの外側にあたる.

写真2


・表面収縮型:
氷河の融解にともなう氷体上面の不均一な沈降によって,できた凹地に融氷水が堪水した湖(supra glacial lake, supra glacial pond).山岳氷河のうち特に岩屑に被覆された氷河にできる小型のもの(写真3)と,グリーンランドやロシアのノバヤ・ゼムリヤのような氷床の表面にできるもの(glacial melt pond)がある.また,地熱等の影響で氷河の底面が上昇してできた空間に氷河湖が形成される場合もある.

写真3




・氷食型:
地盤が氷河によって削り込まれてできた凹地が湖盆となった湖(glacial erosion lake).山岳内にできたものと,平野部にできたものがある.前者は圏谷(カール.写真4)や谷底にできた湖で山岳氷河の浸食作用によってできた氷食湖.後者はレマン湖や五大湖といった湖で,その湖盆は最終氷期(約1万年より前まで続いた氷河期)に大きく発達した氷河による浸食によって形成された.

写真4






天然ダム*:ここ数年,日本の行政やマスコミでは天然ダムという言葉の使用を避けて,代わりに河道閉塞や土砂ダム等の言葉を用いている.災害につながる可能性をもつ水域のイメージに「天然」という単語がもつ語感が相応しくない,というのが理由の一つらしい.しかし,天然という言葉が人間にとって常にプラスである必要は必ずしもない.しかも,代わりの言葉が乱立し統一できず,むしろ混乱をきたしている.「天然」という語感が災害に結びつかないという誤解にどうしても配慮する必要があるならば,せめて「堰き止め湖」という言葉を用いることを提案したい.古くから用いられており,複雑かつ多様な形成原因と堤体の特性に対して広く適用できる言葉である.



写真1 ネパール東部ホング谷源頭部(パンチポカリ)の氷河湖
二つのモレーン堰き止め型の氷河湖が写る.湖の長径は右側が500m,左側が1400m.左の湖の右岸には遮断型の湖も形成されている.写真左奥はチャムラン峰(7319m).2005年10月にアンプラブツァ峠(5780m)から撮影.この時と既存の調査結果と比較することで,周辺の氷河が1991年~2005年に年間約8mの速度で後退していたことがわかった.

写真2 ネパール東部ホング谷のメラ氷河のラテラルモレーンと氷河湖
中央に氷河遮断型の湖が写る.メラ氷河の左岸側ラテラルモレーンによって写真中央手前の谷がブロックされて形成された.湖の直径は約100m.2005年10月に北緯27°44'36,東経86°55'45.標高4800mにて撮影.

写真3 チベット側から見たエベレストとロンブク氷河の氷河湖
厚さ数十cm程度の岩屑に被覆されたロンブク氷河が写真右奥から左手前に延び,その上に表面収縮型の氷河湖(Supra glacial lakes)が載る.右奥に旗雲をともなったエベレストが写る.2008年11月にロンブク氷河左岸ラテラルモレーン標高5240m付近から撮影.

写真4 ケニア山の山頂直下にできたルイス氷河湖
ルイス氷河(写真右)がかつて拡大していた頃に岩盤を侵食してできた氷食湖.湖の長径は約70m.写真左下の矢印部分が湖の堤体部分(モレーンではなくて岩盤であることに注目).2007年1月6日撮影.

2008年12月27日土曜日

12月25日富士山御殿場側斜面の調査について


【概要】
12月25日に富士山御殿場側斜面の現地調査を実施した.
標高2000m~1900mにかけて新鮮かつ明瞭なスラッシュ雪崩の堆積物を確認した.
このスラッシュ雪崩堆積物は12月22日未明に発生したものである.

【背景】
12月21日~22日にかけて,季節はずれの温暖な天気で富士山山頂で22日未明に-5.1度を記録.また,南東斜面ではまとまった降雨で,国交省印野観測点で22日1時~4時にかけて28mm.
一方,21日以前には,標高1300m付近まで積雪があることがWeb上の写真から確認された.
例えば↓
スラッシュ雪崩の発生については気象条件に規則性がある.
たとえば,富士山頂で-5度以上,御殿場で+12度以上,短時間に数十mmの降雨,といった閾値 を越すとスラッシュ雪崩が発生しているようである(小森,スラッシュ雪崩フォーラム報告書 by 防災科技研.この値は再考の余地がある).これまでは人的・物的被害が出るような比較的規模が大きな事例だけが記録されているが,更にスラッシュ雪崩が「発生したか」または「発生していないか」といった微妙な時の事例とその時の気象値が増えれば,信頼できるスラッシュ雪崩発生予報の構築につながると考えられる.

【調査結果】
26日に現地調査を実施した(写真1).調査メンバー:小森次郎(だけ.さみしい~)

 御殿場口登山道に沿って登る.登山道沿いN35.202437, E138.463246,  標高1810.5mまで達する新鮮な雪代の堆積地形を確認.形が崩れていない自然堤防をもつことから形成から間もないと判断される.内部には氷が少ないが,周辺の表層の凍結スコリアよりも頑強に凍り固まっていることから,おそらく泥流状の細い流れであったと考えられる.2007年12月29日のスラッシュ雪崩イベントで発生から半日にほぼ同じ地点で見た氷混じりの泥流と同じであろう.この流れは上流では一部で斜面表層を薄く流れたらしく,堆積地形が一度途絶えている.

 次郎坊小屋の下,標高2000m付近まで上がると急激に風が強まり,四つん這いになっても風下に体が流される.北側へトラバースする.この付近の斜面はスラッシュ雪崩が通過したようで,地表面が斜面上から下に延びる細い帯状に削られた状態.登山道より北側270mにあるガリー(N35.204669, E138.460929, EL2030m)では,谷頭から流れ込んだ雪崩のデブリが明瞭に残る(写真.2).

 時々休息するように風がやむが,またすぐに風が吹く.アイゼンも付ける余裕が無く流されるままに北側のガリーの底に飛び込み一時避難.氷塊が飛び始め,斜面上には浮いた状態の礫が点在するで落石の危険性も大.落石を研究していて落石で怪我をするのも恥ずかしいので撤退開始.雪崩発生点と宝永火口内の様子もチェックする予定だったが諦める.

 風に流されながらスラッシュの堆積物にそって斜面を下る.標高2000m地点(N35.204887, E138.461859)にて,典型的なスラッシュ雪崩堆積物が続くので風の合間をねらってカシャリ!(写真3).サンプリングはできず.さらに下り,堆積域の末端を標高1935m付近(N35.204665, E138.462158)で確認.この付近では氷・雪はかなり抜けた状態で流れた模様で(写真4),スコリアのマトリックスの氷は少ない(登山道の末端よりは多い).

 発生地点を過去の事例を参考に標高2400m付近とすると,スラッシュ雪崩から氷を含んだ泥流状の流れの流下距離は1.2~1.5km程度と考えられる.なお,2007年春には獅子岩周辺や宝永山の斜面でもスラッシュ雪崩が発生したが,今回は何とも言えない(宝永山斜面はあやしい).他の斜面では,少なくともスバルラインは4合目まで上がれるそうで,その範囲ではスラッシュの発生は無い模様(アジア航測(株)の塩谷氏の情報).

【発生日時の推定】
◆天気(図1)
・12月でまとまった雨は9日(印野で日雨量28mm)と22日(同28mm).
・時間雨量で見ると22日2~4時の2時間で10mmと16mmとまとまった雨.9日は10時間の雨(21~22時の8mmが最多)でまとまって降っていない.

◆堆積物の層相 (写真3)
・スラッシュ雪崩堆積物の上に雪を載せていない.
・融解し氷が抜けたスコリアが表層に無い.

◆表面の状態 (写真5)
・堆積物の表面が湿っており,周囲と比べて暗色を示す.これは2007年春の3件のスラッシュ雪崩の数日後の状態と同じ.

以上から考えて,12月22日2時~4時頃にスラッシュ雪崩が発生したと考えられる.

以上


写真1


写真2


写真3


写真4


写真5


図1

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